Warning: Use of undefined constant custom_posts_search_orderby - assumed 'custom_posts_search_orderby' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/noca/enjhu.com/public_html/wp/wp-content/themes/enjhu/functions.php on line 610
潦―にわたづみ | enjhu.

潦―にわたづみ


雨の日に暇つぶしに万葉集の〝水に寄せて〟という頁をパラパラと見ていたら

『はなはだも 降らぬ雨故 にはたづみ いたくな行きそ 人の知るべく』という歌が目に入った。現代文の訳を見ると、『はなはだしく 降る雨でもないのに 庭のたまり水よ 激しく流れていくな。 人が気付くまでに』とある。

「にはたつみ」という語が庭のたまり水のことと知った。広辞苑には「にわたずみ」の表記で、平安時代の「庭只海」の語も載っている。すると今度は「にはたつみ」の漢字が知りたくなった。

漢和辞典を見てみると「潦・潦水」の字に、雨が降って地上に溜りあふれ出る水という解説が出ていた。庭の小さな水たまりを海と詠むおもしろさ。海(み)と水(み)の音の転化だとしても、古代人(いにしえびと)の水に対する深い思いを想像してしまう。

そんなことをボンヤリと考えていると、外の雨音が私を子供の頃の雨上がりの日へ誘ってくれた。それは自分の周りに、「不思議」が満ちていた時代―――

夏の夕立が去った明るい道を、私は友達が待つ原っぱへと急いでいた。すると林の中の狭い道に、昨日まではなかった “水溜り” が突然出現しているのに出会った。周囲6mほどのほんの小さな窪みに溜まった水は、両側の高い木々に囲まれて美しく澄んでいる。足を止め、しゃがみこんで鏡のような水面をのぞくと、夏雲が浮かぶ青い空の中を、銀色の飛行機がゆっくりと飛んでいる。サワサワと木々の間を風がぬけると水面にすると水溜りの水面にさざ波が立ち、飛行機は揺れながら去っていく。

見えなくなった機影を心の中で追っていると、ポチャンとひとつ音がしてなにかの虫が水に落ちた。私は驚いて立ち上り、水紋の広がる水面を見た。すると子供特有の衝動が体の中で立ち騒ぎ出した。

この鏡のような水面を割ったらどうなるのだろう!?

私はサンダルを脱ぎ、片足をそっと水溜りに入れ、つま先グルンと廻してみた。青空が崩れて水面はイタズラ書きの風景に変わった。足を抜くと水溜りはまた静かになって青空がよみがえる。それを何度かくり返していると、今度はどこからかウキウキする奇妙な音楽が頭の中に響き出した。私は思わずサンダルを履いたまま、両足で水溜りの真ん中に立ち、音楽に合わせて足踏みダンスを始めた。

バッシャ~ン、ザンザブ、ヒュルル、バッチャーン!

水鏡はコワレ、コワレて粉々になり、ほかの音は何も聞こえない。不思議な解放感の中で夢中で踊っていると、一瞬の冷たい風が私を現実の林の中へ引き戻した。水は一面茶色く濁り、夏空も白い雲もなくなっている。私はあわてて水から出ると壊れてしまった水面を見つめた。

「もしかしたらこの水溜りは、もうさっきのガラスのような姿には戻ってくれないかもしれない…」

誰かが水の鏡を割ったことを怒っているような気がした。私は怖くなり、急いで友達の居る原っぱへ逃げた。
原っぱは夏草のにおいが一杯で “私の秘密の大事件” に気付く友達などだれ一人いなかった。私は安心して辺りを見回してから、そしらぬ顔で遊びの輪の中に入り夕暮れ近くまで駆けまわった。

しかし帰り道、仲の良い女の子と二人で歩きながら、また心が騒ぎ出すのを感じた。水溜りを通るのは恐ろしかった。友達の手をしっかり握り、水溜りの脇を歩きながら、小さな声で誰かに「ゴメンナサイ」とつぶやいていた。

日暮近い水溜りは私の心配をよそに、何事もなかったように静かな水に戻っている。
私はホッとし足早に通り抜けようとすると女の子が言った。

「アッ!何か水の中に落ちてるよ。ホラ光ってる。」友達はかがんで水溜りに手を入れ、その光るものを拾い上げた。

「なんだろう?」友達がさし出した手の平には、なんと私のサンダルの飾りボタンがひとつあった。わたしは咄嗟に「コレもらう!」と声を上げた。女の子はちょっとビックリしたようだったが、「いいよ」と微笑んでボタンを私の手の中に落としてくれた。

ボタンは今も私の机の中にある―――

金具に白い花型の貝が付いた飾りボタンは、平安に在った水を踏み砕いた後悔の日から、ずっと私にひとつのことを問いかけている。
わずかな溜り水は流れだし、地に潜りまた地上に現れて川となり海となる。水は姿を変えても水という本質を失うことはない。
お前は見えている世界の中に、ひそやかに隠されながら存在する。見えない力に包まれた真理という宝石を真剣に探し続けているかと…確かに検索の足取りはおぼつかない。
命がつきるまでに宝が手に入るかはわからない。
しかしボタンが戻ってきたように、いつか誰かが本当の宝の在処(ありどころ)を微笑んで教えてくれるかもしれない。希望はある。

外の雨は止んだようだ。
庭にもあの「潦」が姿を現しているのだろうか。

参考文献
「大漢和辞典」諸橋轍次(大修館書店)
「新日本古典文学大系・万葉集」

ライター:林 夫左
学校では油絵・建築・インテリアデザインを学ぶ。20代からアート活動と同時に、ライターとして出版や広告の仕事も兼業。30代からは自宅で小さなアトリエをスタート。子供達と造形遊びに熱中!現在は母親となったかつての生徒達とママさん絵本教室が進行中。